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7.22026
第11話 大分県立盲学校で学んだこと 〜仲間との出会いが変えた未来〜

第11話 大分県立盲学校で学んだこと 〜仲間との出会いが変えた未来〜
家族会議を重ねた末に決断した大分への転勤。
住み慣れた福岡を離れ、私たち家族は新しい生活をスタートさせました。
裕太は大分県立盲学校の中学部へ進学。
親としては期待と不安が入り混じる新生活の始まりでした。
初めての「みんな同じ」という環境
それまで裕太は市立小学校に通いながら、週に一度盲学校へ通っていました。
周囲のほとんどは健常児。
見え方が違うのは自分だけでした。
しかし大分県立盲学校では環境が違いました。
全く光を感じない全盲の生徒。
弱視の生徒。
視野が狭い生徒。
見え方はそれぞれ違いますが、みんな何らかの視覚障害を抱えています。
裕太にとっては初めて、
「自分だけが特別ではない」
と感じられる環境だったのかもしれません。
仲間との出会い
中学校生活が始まると、たくさんの友達ができました。
同じ悩みを持つ仲間たちです。
見えにくさによる困難。
将来への不安。
普通の学校ではなかなか共有できないことも、ここでは自然に話せました。
親としても安心しました。
裕太が笑顔で学校の話をすることが増えたからです。
「できない」より「どうすればできるか」
盲学校で学んだ一番大きなことは、
「できないことを嘆くのではなく、どうすればできるかを考える」
という姿勢だったと思います。
見えないから無理。
弱視だから無理。
そうではありませんでした。
工夫する。
道具を使う。
仲間と協力する。
先生方も常にその考え方を教えてくださいました。
自立への第一歩
中学校に入ると、自分でできることも増えていきました。
親が手を貸さなくてもできること。
自分で考えて行動すること。
少しずつ自立心が育っていったように思います。
親としては嬉しい反面、少し寂しい気持ちもありました。
子どもは確実に成長しているのです。
先生方との出会い
大分県立盲学校の先生方には本当に感謝しています。
学習面だけではありません。
生活面。
将来の進路。
友人関係。
一人ひとりをしっかり見てくださいました。
私たち親が気づかない部分まで支えていただきました。
今でも感謝しかありません。
家族にとっても成長の時間
実は成長したのは裕太だけではありません。
私たち家族も多くのことを学びました。
視覚障害について。
福祉制度について。
子どもの可能性について。
そして何より、
「親が限界を決めてはいけない」
ということを学びました。
少しずつ見えてきた未来
中学校生活を送る中で、裕太は将来について考え始めます。
どんな高校へ進むのか。
どんな仕事をしたいのか。
まだはっきりとは決まっていませんでした。
しかし、少なくとも以前のような不安だけではありませんでした。
仲間たちの姿を見ながら、
自分にもできることがある。
そんな自信を少しずつ持ち始めていたように感じます。
中学校最後の頃
気が付けば3年間はあっという間でした。
入学した頃は不安そうだった裕太も、いつの間にか後輩たちを気遣うようになっていました。
友達との思い出もたくさんできました。
そして私たち家族には、次の大きな決断が待っていました。
高校進学です。
次回予告
中学校生活を終えた裕太。
進路を考える中で、一つの大きな決断をすることになります。
それは親元を離れて暮らすという選択でした。
次回、
「第12話 寄宿舎への旅立ち 〜親離れと子離れの第一歩〜」
福岡県立盲学校高等部への進学と、家族それぞれの想いについてお話しします。
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