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6.152026
第3話 未熟児網膜症と診断されて 〜見える未来を信じて〜

第3話 未熟児網膜症と診断されて 〜見える未来を信じて〜
88日間の保育器生活を乗り越え、1992年12月26日に無事退院した裕太。
体重も2776gまで増え、ようやく家族3人での生活が始まりました。
私たち夫婦は、
「小さく生まれたけれど、ここまで育ってくれた」
という安心感でいっぱいでした。
しかし、その喜びの中で医師から告げられた言葉がありました。
「未熟児網膜症の経過観察が必要です」
退院後もしばらく病院で定期検査が続いていました。
その中で眼科の先生から言われたのが、
「未熟児網膜症の経過を見ていきましょう」
という言葉でした。
当時の私は未熟児網膜症という病気を知りませんでした。
説明を受ける中で、
未熟児として生まれた赤ちゃんに起こることがあり、
重症化すると視力に大きな影響が出ることもある。
そんな話を聞かされました。
何も知らない父親
今ならインターネットで調べることもできます。
しかし当時はスマートフォンもありません。
情報を集める手段も限られていました。
病院で説明を受けても、
正直なところよく理解できていませんでした。
ただ、
「目に関わる病気」
ということだけは分かりました。
そして親として感じたのは、
また新たな不安との闘いが始まるということでした。
定期検査の日々
その後も定期的に眼科へ通いました。
検査のたびに、
「進行していませんように」
と祈る気持ちでした。
しかし診察結果は私たちの願いとは違う方向へ進みます。
網膜症が進行していることが分かり、
専門病院での治療が必要と判断されました。
久留米大学病院への紹介
紹介されたのは久留米大学病院でした。
当時の私たちにとっては大きな病院へ行くこと自体が不安でした。
しかも治療対象は生後間もない我が子です。
病院へ向かう車の中でも、
夫婦の会話は自然と少なくなりました。
何を言っても不安は消えません。
ただ、
「先生を信じよう」
そう話し合うことしかできませんでした。
見える未来を守りたい
親として願うことは一つだけでした。
視力がどこまで残るのか。
将来どんな生活になるのか。
そんなことは分かりません。
それでも、
少しでも見える力を守ってあげたい。
ただその一心でした。
保育器の中で懸命に生き抜いた息子です。
今度は目を守るための試練が始まろうとしていました。
あとになって思うこと
当時は不安ばかりでした。
しかし今振り返ると、
医療の進歩と先生方の努力のおかげで救われた部分がたくさんあります。
そして何より、
どんな状況でも前を向いて生きようとする裕太の生命力の強さは、この頃からすでにあったのだと思います。
次回予告
ついに決まった手術の日。
生後間もない息子を手術室へ送り出す父親の気持ちとは――。
次回、
「第4話 手術の日 〜網膜光凝固術を受けた小さな勇者〜」
私たち家族が経験した忘れられない一日をお話しします。
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