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6.142026
第2話 極低出生体重児からの生還 〜88日間の保育器生活〜

第2話 極低出生体重児からの生還 〜88日間の保育器生活〜
前回お話ししたように、息子・裕太は1992年9月29日、体重1240gの極低出生体重児として生まれました。
生まれてすぐに保育器へ。
私たち夫婦は、いつ抱っこできるのかも分からないまま、不安な日々を過ごしていました。
保育器の中で始まった人生
裕太の人生は保育器の中から始まりました。
生まれたばかりの体はあまりにも小さく、腕も足も細い。
たくさんの管やモニターにつながれながら、一生懸命に生きようとしていました。
病院へ行くたびに、
「今日は元気かな」
「体重は増えたかな」
と祈るような気持ちで面会していました。
親として何もしてあげられないもどかしさ。
ただ見守ることしかできない毎日でした。
一喜一憂した体重の増減
未熟児の場合、生後しばらくは体重が減ることがあります。
裕太も1240gで生まれましたが、生後2週間ほどで1130gまで減少しました。
数字だけを見ると不安になります。
しかし医師からは、
「少しずつ増えていけば大丈夫です」
と言われました。
それでも毎日体重計の数字に一喜一憂していたことを今でも覚えています。
10g増えただけで嬉しい。
逆に減っていると落ち込む。
それが当時の私たち夫婦の日常でした。
小さな成長が大きな喜び
呼吸が安定した。
ミルクが少し飲めた。
体重が増えた。
今思えば本当に小さなことです。
しかし当時の私たちにとっては、その一つひとつが大きな希望でした。
普通に生まれていれば気づかなかったかもしれない成長。
未熟児だったからこそ、命の重みを深く感じることができたのだと思います。
家族みんなの願い
病院には私たち夫婦だけでなく、祖父母も何度も足を運んでくれました。
家族みんなが、
「頑張れ」
と声をかけ続けました。
もちろん裕太本人には聞こえていなかったかもしれません。
それでも家族全員が同じ願いを持っていました。
ただ一つ。
元気に家へ帰ってきてほしい。
それだけでした。
そして退院の日
88日間の保育器生活。
長いようで短かった3か月でした。
1992年12月26日。
裕太は2776gまで成長し、無事に退院の日を迎えました。
保育器の中でしか見られなかった息子を、ようやく腕に抱くことができました。
クリスマスの余韻が残る年末。
それは私たち家族にとって、最高のクリスマスプレゼントだったと思います。
この時はまだ知らなかった
退院できたことで私たちは安心していました。
「これで普通の生活が始まる」
そう思っていました。
しかし、極低出生体重児として生まれた裕太には、これから先もさまざまな試練が待っていました。
その中の一つが、
未熟児網膜症
という病気でした。
次回予告
順調に成長していると思っていた裕太に告げられた診断。
親として初めて経験する大きな不安。
次回、
「第3話 未熟児網膜症と診断されて 〜見える未来を信じて〜」
あの日のことをお話しします。
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