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第14話 見えないからこそ身につけたパソコン技術 〜将来への扉が開いた日〜

第14話 見えないからこそ身につけたパソコン技術 〜将来への扉が開いた日〜

高校時代、陸上競技との出会いによって自信をつけていった裕太。

寄宿舎生活にも慣れ、友達との時間も充実していました。

しかし、高校生活の中で裕太の人生を大きく変える出会いがもう一つありました。

それが、

パソコンとの出会いです。


福岡県立盲学校高等部 普通科情報コース

裕太が進学したのは普通科情報コースでした。

当時、パソコンは今ほど身近な存在ではありません。

スマートフォンもありません。

それでも学校では、将来の就職や進学を見据えて情報教育に力を入れていました。

裕太も少しずつパソコンに触れるようになりました。

最初は興味本位だったかもしれません。

しかし、その才能は私たち親が想像していた以上のものでした。


家では私だけが初心者

当時の我が家では、私も仕事でパソコンを使うようになっていました。

とはいえ、私は40歳を過ぎてから覚えた世代です。

Excelやメールに悪戦苦闘していました。

ところが家でパソコンを触ると、

私以外の二人がすごいのです。

裕太と妹の彩音。

二人ともキーボードを見ずに入力している。

いわゆるブラインドタッチです。

私は横で感心するばかりでした。


右目だけで操作する息子

裕太の視力は、

右目0.2

左目0.04

でした。

見えにくさを抱えながらも、パソコン画面の拡大機能を活用して操作します。

しかもキーボード入力は正確です。

画面との距離。

文字サイズ。

環境を工夫しながら作業を続けていました。

私はその姿を見て、

「子どもの可能性は本当に分からないな」

と思いました。


将来の夢は保育士だった

高校時代の裕太には夢がありました。

保育士になることです。

毎週日曜日に家へ帰ってくると、糸島市の子育て支援ボランティアへ参加していました。

エプロンを着け、小さな子どもたちと遊ぶ。

お母さんたちのお手伝いをする。

そんな活動を楽しんでいました。

子どもが好きだったのです。


現実を知った日

しかし、保育士を目指す中で現実も知ることになります。

保育の現場では、小さな危険物を見つけなければなりません。

床に落ちた画鋲。

小さなおもちゃの部品。

誤飲につながる危険物。

視覚障害があることで難しい場面もあることを知りました。

夢を諦めるというより、

別の可能性を考える時期だったのかもしれません。


パソコンが広げてくれた未来

そんな時に見えてきたのが情報分野でした。

見えにくくても工夫すれば使える。

努力した分だけ成長できる。

パソコンは裕太にとって大きな武器になりました。

そして学校の先生方も、その可能性を高く評価してくださいました。


「できない」ではなく「できる方法を探す」

裕太が歩んできた人生を振り返ると、

いつもこの言葉にたどり着きます。

「できない理由を探すのではなく、できる方法を探す」

未熟児として生まれたこと。

弱視であること。

いじめを経験したこと。

どれも決して楽な道ではありませんでした。

それでも一つひとつ乗り越えてきました。

パソコンとの出会いも、その延長線上にあったのだと思います。


将来への扉が開いた

高校卒業が近づく頃、

裕太は進路として情報分野への進学を考えるようになります。

そして目指したのが、

筑波技術大学でした。

視覚障害者のための高等教育機関であり、情報技術を学べる環境が整っています。

保育士という夢とは違う道になりました。

しかし、それは決して夢を失ったわけではありません。

新しい夢を見つけたのです。


次回予告

高校卒業を迎えた裕太。

いよいよ親元をさらに離れ、茨城県の筑波技術大学へ進学します。

そして全国から集まった仲間たちとの出会いが待っていました。

次回、

「第15話 筑波技術大学への挑戦 〜全国から集まった仲間たち〜」

弱視の青年が大きな夢へ向かって歩き始めた日のお話です。

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