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6.242026
第8話 市立小学校と盲学校の二重生活 〜家族みんなで走った日々〜

第8話 市立小学校と盲学校の二重生活 〜家族みんなで走った日々〜
盲学校との出会いによって、新しい一歩を踏み出した裕太。
私たち家族は話し合いを重ねた結果、裕太を地元の市立小学校へ通わせながら、週に一度盲学校で専門的な教育を受ける道を選びました。
今振り返ると、この選択は決して簡単なものではありませんでした。
しかし、この時期の経験が裕太の成長に大きな影響を与えたと思っています。
市立小学校への入学
ランドセルを背負った裕太の姿を見た時は、本当に嬉しかったです。
1240gで生まれ、保育器の中で過ごした日々を思い出しました。
「ここまで大きくなったんだな」
そんな思いが込み上げてきました。
同級生たちと同じ教室で学び、遊び、成長していく。
親としては、それだけで十分幸せでした。
毎週木曜日は盲学校の日
裕太は市立小学校へ通いながら、毎週木曜日になると盲学校へ通いました。
視覚障害のある子どもたちに必要な学習や訓練を受けるためです。
しかし、そこには一つ大きな問題がありました。
盲学校までの距離です。
往復2時間の送迎
盲学校までは車で片道約1時間。
往復すると約2時間かかります。
今のように高速道路が便利な時代でもありませんでした。
仕事の調整をしながら送迎を行うのは決して楽ではありません。
妻が担当することもあれば、私が担当することもありました。
祖父母が協力してくれることもありました。
家族みんなで力を合わせて続けた送迎でした。
家族の支え
今思えば、私たち夫婦だけでは続かなかったかもしれません。
祖父母の存在は本当に大きかったです。
学校行事。
送迎。
日常生活のサポート。
たくさん助けてもらいました。
裕太だけでなく、妹の彩音もいましたから、家族全体で協力しなければ成り立たなかったのです。
裕太の頑張り
一番大変だったのは本人だったと思います。
平日は市立小学校。
木曜日は盲学校。
環境も先生も友達も違います。
それでも裕太は文句を言いませんでした。
むしろ両方の学校で友達を作り、それぞれの環境を楽しんでいるように見えました。
子どもの適応力には本当に驚かされます。
少しずつ見えてきた課題
一方で、小学校生活を送る中で視力による困難も見えてきました。
黒板の文字。
遠くの掲示物。
ボール遊び。
周囲の子どもたちが当たり前にできることが難しい場面もありました。
先生方も工夫してくださいました。
席を前にしてもらったり、教材を見やすくしていただいたり。
多くの方々の支えがありました。
家族みんなで走った日々
当時の我が家は本当に慌ただしかったと思います。
仕事。
送迎。
学校行事。
家庭生活。
毎日があっという間に過ぎていきました。
しかし不思議と「大変だった」という記憶より、
「家族で頑張った」という思い出の方が強く残っています。
そして訪れた試練
順調に見えた小学校生活。
しかし、ある日私たち家族は思いもしなかった現実を知ることになります。
それは親として最も辛い出来事の一つでした。
「まさか自分の子どもが…」
そう思いました。
次回予告
親が気づくことのできなかった小さなSOS。
そして知らされた衝撃の事実。
次回、
「第9話 いじめを知った日 〜親になって初めて分かった気持ち〜」
父親として忘れることのできない一日についてお話しします。
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