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6.192026
第5話 保育器での3か月から退院へ 〜家族がそろった日〜

第5話 保育器での3か月から退院へ 〜家族がそろった日〜
1992年9月29日。
体重1240gで生まれた裕太は、保育器の中で人生のスタートを切りました。
極低出生体重児として生まれ、呼吸の管理や栄養管理が必要な毎日。
さらに未熟児網膜症の治療もあり、私たち家族にとって不安の連続でした。
それでも裕太は、一歩ずつ、一日ずつ成長していきました。
毎日の病院通い
退院できる見込みが立たない頃は、病院へ行くことが私たちの日課でした。
仕事を終えて病院へ向かう日。
休日に家族で面会へ行く日。
保育器の中の裕太に声をかけながら、
「早く家に帰ろうな」
と話していました。
もちろん返事はありません。
それでも指を握ってくれたり、小さく体を動かしたりする姿を見るだけで嬉しかったのを覚えています。
少しずつ増える体重
保育器生活の中で、一番気になったのは体重でした。
10g増えた。
20g増えた。
そんな小さな変化に一喜一憂していました。
普通に生まれた赤ちゃんであれば気にしないような数字です。
しかし当時の私たちには、その数字が希望そのものでした。
裕太はゆっくりではありましたが、確実に成長していました。
退院の話が出た日
ある日の診察で先生から、
「そろそろ退院を考えましょう」
と言われました。
その言葉を聞いた時、
思わず妻と顔を見合わせました。
本当に退院できるのか。
信じられない気持ちでした。
生まれてからずっと病院で過ごしてきた裕太。
ようやく家族みんなで暮らせる日が来るのです。
1992年12月26日
退院の日。
体重は2776gまで成長していました。
保育器に入ったまましか見られなかった息子を、自分の腕で抱きかかえることができました。
その重みは、たった2776g以上に感じました。
「よく頑張ったな」
自然とそんな言葉が出ました。
クリスマスの余韻が残る年末。
私たち家族にとって忘れることのできない一日になりました。
初めての家族写真
家に帰ると祖父母も大喜びでした。
待ちに待った初孫。
誰もが笑顔でした。
家族みんなで写真を撮ったことを覚えています。
今見返すと、まだまだ小さな赤ちゃんです。
しかし私たちには、とても大きく見えました。
当たり前ではない日常
夜泣きもありました。
ミルクも飲ませました。
オムツも替えました。
今思えばどこの家庭にもある普通の育児です。
しかし私たちにとっては、その「普通」が何より幸せでした。
病院で過ごした3か月があったからこそ、
家族そろって過ごせる時間のありがたさを強く感じていました。
この時はまだ知らなかった未来
退院して家族生活が始まり、
「これからは元気に成長してくれるだろう」
そう願っていました。
しかし、未熟児網膜症による視力への影響は少しずつ明らかになっていきます。
そして私たちは、再び大きな決断を迫られることになるのでした。
次回予告
退院後、少しずつ成長していく裕太。
しかし視力に関する不安は続いていました。
次回、
「第6話 弱視と向き合う日々 〜障害者手帳4級を取得するまで〜」
親として現実を受け入れ、前を向いて歩き始めた日々についてお話しします。
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